ポトラッチ第1号

訳者改題


レトリスト・インターナショナル・フランス・グループ情報誌──毎週火曜日発行

1954年6月22日


ポトラッチ

 あなたはたびたびポトラッチを受け取ります。レトリスト・インターナショナルはそこで毎週の問題を取り扱うでしょう。ポトラッチは世界で最もアンガジェ〔=政治・社会参加〕している刊行物です。私たちは新しい文明の自覚的かつ集団的な創設に励んでいます。

編集部


海の水全部でも……できないだろう

 12月1日、マルセル・M(女、16歳)は、愛人と心中しようとする。2人が救助された後、その男(成人、既婚)は、「嫌々ながら」道連れにされたのだと、厚かましくも述べ立てる。マルセルは少年裁判所に召喚される。少年裁判所は「道徳的責任のうちの彼女の分担分を見積もる」必要があるのだ。フランスでは、未成年は一般に宗教的な牢獄に監禁され、そこで青春を過ごさせられる。

 2月5日マドリードで、CNT*1を再建しようとした18人のアナーキストが軍事的反逆のかどで有罪を言い渡される。
 フランコの追従者であり銃殺執行者である人々が、陰欝な「西洋文明」を守っている。

 4月の週刊誌は、彩りを添えるために、ケニアからの写真を何枚か載せている。死刑の宣告を聞く反逆者「中国将軍」。イギリス王国空軍の飛行機の胴体、そこに描かれた34の人影は、地上で機銃掃射を浴びせられた同数の現地人を表わしている。
 撃ち殺された黒人の名はマウ=マウ*2という。

 6月1日、滑稽な『フィガロ』紙上で、モーリヤック*3は、フランソワーズ・サガン*4が、──帝国が水泡に帰そうというときに──例えばモロッコ国民の心をわれわれにつなぎ留めている非常にフランス的な価値のいくつかをちっとも説き勧めないとして非難している(当然ながら、われわれには、この不作の1954年の小説や女流作家たちを読むために無駄にできる時間は1分たりともない。しかし、モーリヤックのような人が、18歳の少女を話題にするのは卑狼である)。
 ネオ−シュルレアリスムの雑誌『メディウム*5──今まで無害であった──の最新号は、挑発に転じる。ファシストのジョルジュ・スーレが、アベリオ*6という偽名で、目次に突如現われる。ジェラール・ルグラン*7は、パリの北アフリカ人労働者を攻撃する。

 真の問題に対する恐怖と、時代遅れの知的流行に対する媚びへつらいは、こうして、文章のプロフェッショナルたちを結集させる。その文章が模範的なものであれ、あるいはカミユのように反抗的なものであれ、無差別に。

 それらの人々に欠けているもの、それは〈恐怖(テロル)〉だ。

ギー=エルネスト・ドゥボール


新しい神話

 最後のラマ僧たちは死んだが、イヴィッチは切れ長の〔東洋人特有の〕目をしている。イヴィッチの子どもたちは誰になるだろうか。
 今からイヴィッチは待っている、世界のどこででも。

アンドレ=フランク・コノール*8


やつらにやつらのチューインガムを飲み込ませること

 今一度、フォスター・ロケット・ダレス*9は諸君に武装蜂起を呼びかける。グァテマラは「ユナイテッド・フルーツ」社を収用した。それは、1944年から、ゴムとその国の住民を搾取して、なくてはならないチューインガムを得ていたトラストである。
 反共産主義軍の神は、次のような言葉で考えを述べた。「それら悪の勢力を排除するために、平和的で集団的な行動に訴える必要がある。」
 その行動は進行中である。メイド・イン・USAの武器がすでに反動的なホンジュラスニカラグアに引き渡された。大量のドルの力でいくつもの陰謀が起こされた。アメリカは再び十字軍に出かける。細部に至るまで再び、共和制スペインを壊滅させた方法が採られている。
 しかしボゴタでは、学生が戦車の砲火のもとでデモを行なっている。そしてグァテマラの革命運動は、この大陸における唯一の自由の可能性として現れている。
 J・アルベンス・グスマン*10政権は労働者を武装させる必要がある。経済的制裁に対して、また帝国主義の攻撃に対しては、中央アメリカの隷属した国々で起こされる内戦によって、またヨーロッパの志願兵へのアピールによって、応えなければならない。

パリ、1954年6月16日

レトリスト・インターナショナルのために

アンドレ=フランク・コノール、ムハンマド・ダフ

ギー=エルネスト・ドゥボール、ジャック・フィヨン*11


今週の心理地理学的遊び

 あなたが求めるものに応じて、地方を選び、人口密度の高いまたは低い町を選び、にぎやかなまたは淋しい通りを選びなさい。家を建てなさい。その家に家具を入れなさい。家の装飾や家の周囲を最大限に活用しなさい。季節と時間を選びなさい。最も適した人々を招き、ふさわしいレコードとアルコールを揃えなさい。照明や会話は、もちろん、外の気候やあなたの思い出と同じように、その場にふさわしいものでなくてはならないでしょう。
 あなたの計算に間違いがなければ、答はあなたにとって満足のいくものになるはずです。(結果を編集部までお知らせください。)


暗い小路*12(ザ・ダーク・パッセージ)

 モリエール小路(カンカンポワ通り、82番地)のドゥブル・ドゥート〔=二重の疑惑〕画廊で、影響波及的*13(アンフリュアンシェル)メタグラフィーの展覧会が、成果を上げて続けられている。レトリスム事務所は今や防弾鉄格子で守られている。


新たな任用

 ムハンマド・ダフは、オルレアンヴィル*14のレトリスト・グループに、至急パリに来て言う通りに動いてくれる決意の固い男を5人指名するよう求めている。

ムハンマド・ダフ

編集長 アンドレ=フランク・コノール

パリ六区、デュゲ=トゥルアン街15番地

*1:CNT 全国労働組合(Confederación Nacional del Trabajo)1910年に結成のスペインの労働組合アナルコ・サンジカリズムを標樗。1945−60年の間、分裂していた。

*2:マウ=マウ ケニヤのキクユ人の秘密結社。1952年、白人植民者への武装叛乱を開始し、爆発的な蜂起となったが、54年4月、イギリス人植民地政府はマウ=マウ団掃討のための戦時評議会を設け、アンビル作戦と呼ばれる大規模な弾圧に乗り出し、60年までには叛乱を押さえ込んだ。

*3:モーリヤック(1885−1970年) フランスのカトリックの作家。代表作に『テレーズ・デスケールー』(1927年)。1952年ノーベル文学賞受賞。

*4:フランソワーズ・サガン フランスの女流作家。1954年、18歳のときに『悲しみよこんにちは』でデビュー(参照)。なお、ドルーエは、その注では、ヴィクトル・ユゴーの偏愛した女優ジュリエット・ドルーエかもしれないと書いたが、1950年代の天才少女ミヌー・ドルー工であろう。この文学少女は当時多くの詩集を出版して天才少女と騒がれたが、1955年11月、母親がゴーストライターなのではないかとの疑いを持ったジャーナリストの前で、実際に詩を作り、天才少女であることを証明した。

*5:メディウム』誌 1952年から55年まで出されたシュルレアリストの雑誌。ジャン・シュステルの編集で、第1次は52年8月から53年6月にかけて8号、第2次は53年11月から55年1月まで4号が出された。ここで触れられている「最新号」とは54年5月発行の第3号。

*6:レーモン・アベリオ(本名ジョルジユ・スーレ 1907−) フランスの作家。政治に気をそそられて、社会主義労働者インターナショナルからヴィシー政権(第二次大戦中の親独政権)支持へと至った。彼はその成り行きを秘教の影響と分析している。

*7:ジェラール・ルグラン(1927−)戦後のシュルレアリストブルトンと共著で『魔術的芸術』(1957)年)を著したことで有名。参照

*8:アンドレ=フランク・コノール レトリスト・インターナショナルの活動家として『ポトラッチ』第1号から第8号までの編集長を務めたが、1954年「新(ネオ)仏教徒福音主義者、神秘論者という嫌疑」でLIを除名。『ポトラッチ』第9−10−11合併号の記事と第12号のコノールの自己批判の手紙を参照。LI以降の著作に、『癌と科学のテロリスム』(1977年)など。

*9:フォスター・ロケット・ダレス ジョン・フォスター・ダレス(1888−1959年)を指すと思われる。アメリカの政治家。トルーマン大統領の顧問となり、対日講和条約(1951年)を成立に導く。1953年共和党アイゼンハワー大統領の国務長官となり、強硬な反共十字軍的外交政策を展開。1954年1月、「大量報復戦略」政策を打ち出し、これはアメリカの核抑止戦略の原型となる。また、中ソを包囲する反共軍事同盟網の形成を企図し、1954年SEATO(東南アジア条約機構)を成立させて中国を包囲する反共軍事同盟網を実現した。その過程で、インドシナにおけるフランス軍の敗北を阻止するために米・英・仏などの統一行動による軍事介入を提唱するなど、「戦争瀬戸際」政策を推進した。

*10:ハコボ・アルベンス・グスマン(1913−71年)グァテマラの軍人、政治家。1944年、陸軍大尉のときウビコ独裁打倒闘争に参加。打倒後、改革派のアルバロ政権下で国防大臣を務める。50年、選挙で大統領に選ばれる。労働者、農民、知識人、軍部、共産党の支持のもとで国内の構造改革と経済の自立化をめざし、52年に本格的な土地改革を実施。しかし同国に巨大な利権を持つ米国企業ユナイテッド・フルーツ社(現ユナイテッド・ブランズ社)の所有地16万ヘクタールの収用をめぐって米国政府と対立し、54年6月、ホンジュラスアメリカCIAの支援を受けて反革命軍を組織していたカスティリョ・アルマス大佐の侵攻に直面して、同政権は崩壊した。その後メキシコに亡命し、その地で死亡。

*11:ジャック・フィヨン LIのメンバー。1955年10月『ポトラッチ』第23号から編集長を務めるが、1957年1月、シチュアシオニスト・インターナショナル結成直前に、ジル・ヴォルマンとともにLIを除名。『裸の唇』誌 第7号(1955年12月)に心理地理学的なパリの記述「パリの合理的地図」が掲載されている。

*12:暗い小路 原文の見出し〈THE DARK PASSAGE〉は、1947年にデルマー・ディヴズ監督、ハンフリー・ボガート主演で製作されたアメリカ映画の題名を転用したと思われる。

*13:影響波及的(influentiel)英語の形容詞influential「影響を及ぼす」からの借用と思われる。

*14:オルレアンヴィル アルジェリアの都市シェリフの旧称。オルレアンヴィルは、一旦、エル・アスナムという名称に改められた後、1981年にシェリフというれ称に改められた。