『レ・アールの心理地理学的描写の試み』 訳者解題

 ここに描写される「レ・アール」とは、シテ島の北、パリ4区から1区にかけて、現在、フォーラム・デ・アールのある場所の周辺で、ここには1969年に取り壊され郊外に移転するまで、エミール・ゾラの『パリの胃袋』で名高い巨大な中央卸売市場(レ・アール・サントラル)があった。この市場は、遠く1110年ごろに既にこの地にあったが、16世紀以降次第に食品市場となり、19世紀半ばのオスマンのパリ改造によって、ここに通じる何本かの大通りができ、鉄骨・ガラス製の屋根で覆われた10数棟のパヴィリオンが建てられ、ここで描かれているような姿になった。19世紀後半から、この地域には、そこで働く様々な労働者に、夜中から明け方まで開いている安くて美味いレストランを目指してやってくるパリ市民たちも混じって、昼夜を問わず活況を呈していた。また、オスマンの改造から取り残された狭い路地や古びた建物もまだ数多くのこっていて、独特の雰囲気を醸し出していた。しかし、施設が老朽化し、手狭になったため、50年代になって移転が計画され、結局、69年に中央市場は郊外のランジスに移転された。その後しばらく、この地区はさびれていたが、1977年、跡地には複合商業施設フォーラム・デ・アールができ、すぐそばには現代芸術の美術館ポンピドゥー・センターが完成し、現在ではパリの名所としてふたたび活況を呈している。
 レ・アールを「シチュアシオニスト的な小さな建築複合体の自律的諸系列」と「絶えず変化する迷路」へと転換しようとシチュアシオニストの提案は、こうして1977年になって、近代的なショッピング・センターと芸術パヴィリオン、詩の館、ホログラフィー館、クストー太洋公園などのアミューズメント施設を持つフォーラム・デ・アールと、20世紀の美術の粋を集め、80年代アヴァンギャルドの活動拠点として建てられたポンピドゥー・センターによって実現されたかに見えるが、それは文化装置による国民統合を中心政策の1つとする70年代以降のフランス政府と、詩や芸術を商売にする企業が、68年5月のパリケード空間という真の「迷路」での恐るべき遊びを総括して行った融和策にすぎない。ポンピドゥー・センターとフォーラム・デ・アールこそは、国家と資本がシチュアシオニストの発想を換骨奪胎して盗み取ったグロテスクな残骸である。

本文へ