『響きと怒り』訳者解題

 1950年代後半は、ここに触れられているように、世界各地で若者たちの反抗が相次ぎ、ジェームス・ディーン主演の『理由なき反抗』(1955年)やエルヴィス・プレスリー(54年デビュー)の世界的ヒットに見られるように、「反抗」の身振りがモードとまでなった時代だ。
 イギリスの「アングリー・ヤング・メン」は、1951年発表のL・A・ポールの自伝的小説『怒れる若者』に端を発するが、その後、1953年のジョン・ウェインの小説『急いで下りろ』、1956年のジョン・オズボーンの戯曲『怒りをこめて振り返れ』などによって、ブルジョワ社会の閉塞性に絶望的に反抗する労働者階級や中産階級の若者たちの姿を描き、一躍脚光を浴びた。合衆国でも、大衆消費社会の到来とともに、画一化された物質文化に背を向け、放浪とドラッグの生活に明け暮れ、一様にインドやチベットの精神文化や仏教に逃避する、「ビートニク」呼ばれるグループがカリフォルニアを中心に誕生していた。ジャック・ケルアックの小説『路上』(1957年)やアレン・ギンズバーグの詩『吠える』(56年)、ウィリアム・バロウズの『裸のランチ』(59年)は、いずれも、当時の若者たちに競って読まれ、60年代のヒッピーを予告する彼らの生活スタイルは多くの若者たちに真似された。
 こうした無軌道な反抗を気取る生活スタイルは、イギリスや合衆国より以前に、すでに、戦後すぐから50年代初めのパリのサン・ジェルマン・デ・プレの周辺に出現していたものであり、髪の毛を伸ばし、破れたズボンをはいた若者たちが、サルトルカミュらの実存主義者が出入りするドゥー・マゴなどのカフェの周りにたむろしていた。ドゥボールらのレトリストは、こうした環境のなかで、通りへの落書きやスキャンダルの創出、都市の心理地理学的漂流といった活動を、集団で意識的に行い、混沌とした反抗の気分を状況の構築へと結び付けようとしたが、その運動スタイルの過激さは、サルトルエピゴーネンとして反抗を気取る若者たちからは煙たがられたようである。例えば、当時の様子を伝えるエド・ファン・デル・エルスケンの写真集『サン・ジェルマン・デ・プレの恋』(1955年)には、こうした反抗的な若者のポートレイトが写されているが、その中の1つ「街でたむろする若者たち」(1953年)には若い男のカップルの一方のズボンに「シチュアシオニスト・インターナショナルを通すな」、「サドのための叫び」(これはドゥボールの映画のタイトル)などと落書きされている。こうした活動を経て生まれてきたシチュアシオニストにとってみれば、文学流派のひとつにすぎず、個人的反抗にすぎない「アングリー・ヤング・メン」や「ビート・ジェネレーション」はまったく時代遅れな反抗の身振りに見えたに違いない。

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