転用の使用法

訳者改題
 
 現代という時代を少しでも知っている者なら誰でも、次のことに同意するだろう。つまり、芸術が何らかの高次の活動として、あるいは人が誇らしく専心できる代償活動として認められることは今や不可能になったという明白な事実にだ。この[芸術の]衰退=消滅の原因は、明らかに今までとは異なる生産関係と新しい生活実践を必要とする生産力が出現したことにある。われわれが閉じ込められているこの内戦段階において、将来のある種の活動のためにわれわれがすでに見出している方向性と緊密な関係を保ちつつ、われわれは次のように考えることができる。すなわち、これまでに知られているあらゆる表現手段は、プロパガンダの1つの全体的運動のなかに融合することになり、そのプロパガンダの運動は、絶えざる相互作用のなかに置かれた社会的現実の全側面を包括せねばならない。

 教育的プロパガンダの形態と性質そのものについて、多くの意見がぶつかり合っている。それらはどれも、現在流行のさまざまな改良主義的政策に想を得たものである。われわれとしては、文化の側面でも厳密に政治的な側面でも、革命の前提条件は単に熟しているだけではなく、それは腐りはじめているのだと明言するだけで十分であってほしい。単に後退することだけではなく、「アクチュアルな」文化の目標を追求することもまた、反動的な効力しか持ちえない。なぜなら、アクチュアルな文化的目標の追求というものも、実際には、今日まで末期の苦しみをながらえてきた過去の社会のイデオロギーによって形成されたものに依存しているからである。歴史的正統性を持つものは、ただ、徹底的に過激な革新だけである。
 全体として、人類の文学的・芸術的遺産は、旗幟を鮮明にしたプロパガンダの目的に使用されるべきである。もちろん、スキャンダルという観念をすべて乗り越えることが肝心である。天才と芸術というブルジョワ的概念を否定することが広く行き渡っているだけに、[マルセル・デュシャンのように]モナリザにいくら髭を付け加えても、元の絵以上に興味深い特質を提出することにはならない。今や、このプロセスを否定の否定にまで押し進めねばならないのである。ベルトルト・ブレヒト*1は、つい最近・週刊誌『フランス・オプセルヴアトゥール』でのインタヴューで、自分が演劇の古典を切り刻むのは、それらをより効果ある教育的仕方で上演するためであるということを明らかにしているが、彼はデュシャンよりはるかに、われわれの求める革命の成果に近いところにいる。ここでさらに指摘しておかねばならないが、こうした有益な介入が維持されるのは狭い限界のなかでのことであり、それは支配階級が定義するような文化を筋違いにも尊重することによってなされるのである。それは、ブルジョワジーの小学校でも労働者の党が発行する新聞でも同じように教えられる同じ文化の尊重であり、まさにそれがために共産主義に最も共感を覚えるパリ郊外の町の住民は、TNP(国立民衆劇場)の巡回劇団に向かって[ブレヒトの芝居]『肝っ玉おっかあ』よりも[コルネイユの古典悲劇]『ル・シッド』*2を要求するのである。
 本当のところを言えば、この領域では個人財産という概念とはいっさい手を切らねぱならない。これまでとは異なる必要が生じると、以前の「天才的」な上演は無効になる。それらは障害になり、忌まわしい慣習になるのである。問題は、われわれがそれらを好きになることができるかどうかを知ることにあるのではない。それらを無視して進まねばならない。
 どこから取られたものであれ、すべての要素が新しい関係付けの対象になりうる。イメージの類推(アナロジー)構造に基づいて現代の詩が発見したものによって、できる限り異質なところから持って来られた2つの要素の間にも、常にある関係が打ち立てられることが証明されている。これを言葉の個人的組み合わせという狭い枠にとどめておくのは、まったく習慣的なことにすぎない。2つの感情世界の相互干渉、2つの独立した表現の対置は、それぞれの当初の要素を乗り越え、より優れた効果のある総合的組織を与えることだろう。すべてのものが役に立つのである。
 言うまでもないことだが、単に、1つの作品を訂正したり、古びた作品のさまざまな断片を新しい作品のなかに統合するだけでなくそれらの断片の意味を変え、馬鹿なやつらが頑固にも引用と名付けているものを、適当と判断できるあらゆる手段を用いて偽造することさえできる。
 そうしたパロディ的手法は、コミカルな効果を手に入れるために、これまでもしばしば使われてきた。だが、コミカルなものというのは、ある与えられた状態での、すでに存在するものとして示された状態での矛盾を浮き彫りにするだけだ。目下の文学事象の状態はトナカイの年齢とほとんど同じぐらいわれわれに無関係に思えるからと言って、その矛盾はわれわれにはおかしくとも何ともない。それゆえ真面目なパロディという段階、つまり、オリジナルの作品という観念を頼りに怒りや笑いを呼び起こそうとするのではなく、逆に、意味を奪われ、忘れられたオリジナルに対する無関心を強調し、転用された要素の積み重ねがある種の崇高さを表現にもたらすのに従事するような段階を構想しなければならない。

 周知のように、ロートレアモン*3はこの道をとても遠くまで進んだため、どれほど公然と彼を賛美するものもまだ彼を部分的に誤解している。『ポエジー』のなかで、とりわけパスカルヴォーヴナルグの教訓を元にして、理論の言語に対して適用された手法は明白である──そこで、ロートレアモンは、さまざまな推論を次々と集中させていくことによって、ついにはそれらをただ一つの格言に集約させようとした──にもかかわらず、今から3、4年前に、ヴィルー*4とかいう男が、どれほど頭の悪い者でも『マルドロールの歌』の中にビュフォン*5や特に博物学の著作の膨大な転用がなされているのを認めざるをえなくした発見にみんな驚いてみせたのである。このヴィルーその人のような、『フィガロ』紙の散文作家どもがそこにロートレアモンの価値をおとしめるチャンスを見て取ったにせよ、他の者がロートレアモンの大胆不敵さを賛えて擁護せねばならないと信じたにせよ、それは、文壇内での上品な戦いをしている2つの陣営の年寄りどもの知的衰弱を証言するにすぎない。「剽窃は必要である。進歩はそれを含み持つ」というような合言葉は、「詩は万人によって作られねばならない」という詩についての有名な言葉と同様、まだよく理解されていないが、それは、同じ理由によるのである。
 ロートレアモンの作品──極端に早すぎた出現のせいで、その大部分はいまだに正確な批評を受けていない──を除き、現代的表現の研究によって認めうる転用への傾向は、大半が無意識的なものか偶然のものである。そして、終りを迎えつつある美術的生産物よりも、広告産業のなかに、その最も美しい例を見い出すべきだろう。

 まず第1に、でき上がったものがオリジナルに対して導入された訂正を伴うか否かに関係なく、転用されたすべての要素に対して、2つの主要カテゴリーを定めることができる。小さな転用と、濫用的転用である。
 小さな転用とは、本来それほど重要ではない要素の転用であり、それゆえ、それは新しい関係のなかに置かれることからその意味のすべてを引き出す。新聞の切り抜き、特徴のない文章、無名の者の写真などである。
 濫用的転用は、前駆命題の転用とも言われるが、小さな転用とは逆に、それ自体で意味のある要素を対象とする。この要素は、新しい関係付けから、今までとは異なった効力を引き出す。サン=ジュスト*6のスローガンや、エイゼンシュテイン*7の1シークェンスなどがその例である。
 ある程度の規模を持つ転用作品は、したがって、たいていの場合、ひと続きの、あるいはさまざまに絡み合った小さな転用と濫用的転用とによって構成される。

 ここからは、転用の使用に関するさまざまな法則を述べる。
 全体の印象を最も生き生きさせるのに与するものは、最も遠いところから転用された要素であって、その印象の性質を直接に決定する要素ではない。そういうわけで、スペイン戦争に関するあるメタグラフィー*8において、一番はっきりと革命を表す意味の文章は、ある口紅メーカーの次のような不十分な広告であった──「美しい唇には紅=赤(ルージュ)がある」。別のメタグラフィー(『J・Hの死』)では、酒屋の家屋の売り出しに関する125の三行広告がある自殺を物語るが、それはその自殺を報告する新聞記事よりもずっと印象的である。

 転用の主たる力は、はっきりと意識してであれ困難を感じながらであれ、記憶によってそれを認識することと直接に関連しているので、転用された要素に加えられた変形は、極端なまでに単純化されるようにしなければならない。このことはよく知られたことである。次のことだけを指摘しておこう。こうして記憶を利用するためには転用の使用に先立って公衆を選ばなければならないとしても、それは世界に対する他のすべての行動様式を規制するのと同じように転用を規制している一般法則の一特殊ケースにすぎない。絶対的な表現という観念は死に絶えた。そして、われわれの敵が生き残ってるあいだ、まだしばらくは生き残るものは、この行いの物まねにすぎない。
 転用は、論理的な反駁に近づけば近づくほど、効力をなくす。ロートレアモンが、手を加えたかなりの数の格言がそのケースだ。反駁というものの論理的性格が明白になればなるほど、それは平凡な当意即妙の才と混同される。この才能にとっても、論敵の言葉をそのまま相手に返すことが重要であるからだ。それは、当然のことながら、話し言葉に限られたものではない。われわれの仲間の幾人かは、ファシスト組織「平和と自由」の反ソ・ポスター──それは、絡み合った西欧のさまざまな国旗を配して、「統一は力なり」と叫んでいた──に、「そして同盟は戦争なり」という文句を書いた小さな紙を貼り付けて、それを転用しようとしたが、われわれはその計画についても、こうした[論理的な反駁という]観点から議論すべきだったのである。
 単純な言い返しによる転用は、常に最も直接的であると同時に最も効果が薄い。だからといって、そうした転用に進歩的な面がないというわけではない。たとえば、人物の銅像に「クレマンソーと呼ばれる虎」という銘板を付ければよい。同様に黒ミサは、既存の形而上学に基づく環境の構築に対して、その同じ形而上学の諸価値を保存したまま転倒し、同じ枠組みのなかで、[別の]環境の構築を対置する。
 これまで述べてきた4つの法則のうち、第1のものが本質的であり、普遍的に適用できる。他の3つは、実際には濫用的な転用の要素にとってのみ価値を持つ。

 転用が本来持つプロパガンダの力のほかに、転用の一般化によってはっきりと目に見えるかたちで生じてくる最初の帰結とは次のようなものであろう。一群の俗悪本の復活、無名の作家の大量の参画、文章と造形作品の差異化の恒常的進行とその流行、そしてとりわけ生産の容易さ──それは、退屈な記憶の自動運動を、量においても、真実と質においても、はるかに凌駕するものになる──である。

 転用は才能の新しい面の発見をもたらすだけでなく、世間的・司法的慣習すべてに真っ向から衝突することによって、必ずや、すぐれた構想の階級闘争に役立つ強力な文化的道具として現れてくる。転用による生産物の値段の安さは、知の領域における万里の長城に突破口を開く大砲である。それこそ、プロレタリアートの真の芸術的教育手段であり、文学のコミュニスムの最初の萌芽である。
 転用の分野での提案と実現は、意のままに増やすことができる。さしあたり、コミュニケーションの現在のさまざまな部門に発するいくつかの具体的可能性に限ろう。もちろん、こうした区別は今日の技術との関連においてしか価値を持たず、すべては、その技術の進歩とともに消滅してより高度な総合のなかに消え去る方向に向かっているのであるが。

 広告のポスターやレコード、ラジオ放送などでの文章の転用のさまざまな形での直接的使用は別にして、散文の転用の二大適用例の一つはメタグラフィーのエクリチュールであり、もう1つは──こちらのほうが程度は低いが──巧みに歪められた小説的構成の作品である。
 小説作品のまるごとの転用は将来性のかなり薄い企てであるが、過渡期においてはは効果を発揮できるかもしれない。そうした転用は、本文とはっきりとしない関係を持つイラストを付けることで価値を増す。その難しさは隠さないが、たとえぱジョルジュ・サンドの小説『コンスエロ』*9を転用して心理地理学的に有益なものにすることも可能であると、われわれは思う。この小説に心理地理学的メイキャップを施し、『大郊外』というようなありふれたタイトルでカムフラージュして──あるいは、それもまた、『迷子のパトロール』と転用してもよい──、文学市場にもう1度投げ込むこともできるだろう。(同様にして、廃棄処分にする前の古いフィルムや、シネマテークで若者たちを痴呆化させているフィルムが手に入らなかった時には、もう他に何の価値もない映画のタイトルを再投資すればよいだろう。)
 メタグラフィーのエクリチュールは、それが物質的に位置する造形芸術の枠がいかに遅れた面を持っていようと、転用された散文にもそれに適した他のオブジェやイメージにも、より豊かな働き口を提供する。そう判断できるのは、1951年に開始され十分な資金がなかったために断念された計画からで、その計画では、電気仕掛けのビリヤードを改造して、ビリヤード台の光の戯れと多少とも予見できるボールの通路を使って、「11月のある日の日没の約1時間後、クリュニー美術館の柵の前を通る人々の温度感覚と欲望」と題された空間的メタグラフィー的解釈を行おうとしていた。以来、もちろんのこと、シチュアシオニスト的分析の作業の進歩はそうした手段で科学的になされるものではないとわかった。しかしながら、より野心的でない目的にとっては、これらの手段も依然として有効だろう。

 転用が最も効力を発揮し、そして、関心の深い者にとっては、おそらく最大の美を示すのは、明らかに映画という枠のなかでである。
 映画の力はあまりにも広く行き渡っている一方で、それらの力の調整の不在はあまりにも明白であるために、貧弱な平均的水準を超えたフィルムのほとんどすべてが、多種多様な観客や専門的批評家の際限ない論争の肥しになっている。付け加えて言うと、これらの者たちは、何よりも自らの順応主義のせいで最高のフィルムのなかのどれほど心を奪う魅力もどれほどひどい欠点も見つけることができないのである。こうした可笑しな価値の混乱を少し取り除くために、グリフィスの『国民の創生*10は、新しい時代の成果を備えた大衆を描くことによって、映画史上最も重要なフィルムの一つであると指摘しておこう。しかし一方で、この映画は人種差別主義の映画でもある。それゆえ、現在のかたちで上映することには何の価値もない。だからと言って、単純にその上映を禁止すれば、映画という領域──それは取るに足らないが、より良い使い途がある──において残念なことになるかもしれない。この映画をまるごと転用すればよい。モンタージュにはまったく手を加える必要はない。別のサウンド・トラックの助けを借りれば、それは今現在、周知のように合衆国で行われているクー・クラックス・クラン*11の活動と帝国主義戦争の恐怖に対する強力な告発になるだろう。
 このような穏健な転用は、結局のところ、道徳的には、美術館での古い絵画の修復にも等しいものでしかない。だが、大半のフィルムは、別の作品を作るためにばらばらにされてはじめて価値がでる。既存のシークェンスをそのようにして他の用途に転換するには、歴史的要素だけでなく、音楽や絵画の要素のような異なる要素の協力が不可欠であることは、言うまでもない。今までは、映画による歴史の改竃はすべて、多かれ少なかれ[サッシャ・]ギトリ*12流の滑稽な再構成のラインで進んできたが、自分の処刑を前にしたロベスピエール*13に、「これほどの試練にもかかわらず、わたしの経験とわたしの任務の偉大さは、わたしをしてすべてよしと判断せしむる」と言わせることもできるのだ。この場合、ギリシャ悲劇が折よく若返り、われわれがロベスピエールを称えるのに役立っているのだとすれば、今度は逆に、ネオ・レアリスモ風のシークェンスを想像してみてはどうだろう。たとえば、長距離トラックの運転手たちが集まるバーのカウンターの前で、1人の運転手が別の1人に真面目な顔でこう言うのだ「道徳は哲学者の本のなかにあったがわれわれ止・ジロンド党弾圧などの恐怖政治を行*はそれを諸国民の統治に用いた」。この出会いの光を浴びて、マクシミリアン*14の思想にも、プロレタリアート独裁としう思想にも何が付け加わる力よくわかるだろう。

 転用の光は一直線に伝播する。新しい建築はバロック的な実験段階から始まらざるをえないように思えるという限りにおいて、建築物の複合体──さまざまな行動様式と結び付いたダイナミックな環境の構築、としてわれわれが理解するもの──は既知の建築形態の転用をもっともらしく用いて、造形的にも情動的にも、あらゆる種類の転用されたオブジェをとにかくも活用するだろう。クレーンや建設用の金属製の足場が巧みに配されて、死に絶えた伝統的彫刻に取って代わるだろう。でもそれをショックに思うのは、フランス庭園を熱狂的に愛する最悪の人間だけである。かつて、ダヌンツィオ*15、この魅力的なまでに腐った人間が自分の庭に魚雷艇の舳先を置いていたことが思い出される。彼の愛国主義的動機はだれも知らなかったので、このモニュメントは楽しいものにしか見えなかった。

 転用を都市計画の実現にまで拡大して、1つの都市のなかにもう1つの都市の1区画を細部まで詳細に再建することになれば、おそらくだれも無関心ではいられなくなるだろう。生活そのものが、これ以上考えられないほど面喰らうものになり、それによって真に美しいものになるだろう。
 タイトルでさえ、これまでに見てきたように、転用の過激な要素である。このことは、2つの広く確認されている事実から生じている。1つは、すべてのタイトルは互いに交換可能であるという事実であり、もう一つは、タイトルこそが多くの分野で決定的に重要な役目を担っているという事実である。「黒双書(セリ・ノワール)」*16の探偵小説はどれもよく似ているので、多くの読者を惹き付けておくためにはタイトルを新しくする努力だけで十分である。音楽においても、聴衆につねに大きな影響を与えるのはそのタイトルだが、いかなる基準でそれが選ばれているのかは本当にはわからない。それゆえ、[べートーヴェンの]『英雄交響曲』のタイトルを、たとえば『レーニン交響曲』にするという究極の訂正を行っても悪くないだろう。
 タイトルは作品の転用に大きな力を発揮するが、作品からタイトルへのリアクションも避け難い。それゆえ、科学的著作や軍事的著作から借りた意味の明確なタイトル(「温帯地方の海の沿岸生物学」とか「小さな歩兵部隊の夜の戦闘」など)や、子供向けのイラスト本から取ってきた多くの文章(「素晴しい風景が船乗りたちの目のまえに差し出される」など)でさえも広く利用できる。
 最後に、われわれが超-転用と名付けるもの、すなわち、日常生活に適用された転用的傾向についてざっと述べておかねばならない。行為や言葉も、実際的理由から、別の意味を持ちうるし、歴史を通してこれまでずっとそうであってきた。古代中国の秘密結社社会は、物事を認識するために非常に洗練された記号を自由に操っていたが、そのなかには世俗的な立ち居振る舞いも入っていた(茶碗の配り方や飲み方適当な時に決まった詩を引用することなど)。秘密の言葉や合言葉の必要は、遊びへの傾向と切り離せない。究極の考え方は、どのような記号も、どのような呼称も別のものに換えることができ、正反対のものにさえ転換できるというものである。ヴァンデ地方の王党派叛徒は、キリストの心臓の不浄な紋章を身につけていたために、「赤軍」を名乗っていた。政治的戦争の語彙という限られた領域で、この表現は1世紀後に完全に転用されてしまった。
 言語以外にも、同じ方法で衣服を──それに隠されている感情的重要さとともに──転用することも可能だ。そこでもまた、遊びと密接に結び付いた変装の概念が見い出せる。結局のところ、われわれの活動すべての最終目的である、状況を構築するにいたれば、だれもがそれぞれの決定的条件を意図的に変えることによって、状況全体を転用することができるだろう。
 ここでわれわれが大まかに論じた手法は、われわれに固有の発明として差し出されているのではなく、反対に、かなり共通に広まっているものとして差し出されている。われわれはそれを体系化しようとしているのである。
 漂流の理論それ自体には、われわれはほとんど関心がない。だが、それは、プレーシチュアシオニストの過渡期のほとんどすべての構築的側面と結びついているとわれわれは考えている。それゆえ、実践によってその理論を豊かにすることが必要だと思われる。

 これらのテーゼの発展については、また後で述べることにしよう。

ギー=エルネスト・ドゥボール と ジル・J・ヴォルマン

*1:ベルトルト・ブレヒト(1896-1956年) ドイツの劇作家。1928年、クルト・ヴァイルとの合作『三文オペラ』で大成功を博す。29年から36年にかけて共産主義運動に参加。その後、ナチスの台頭によって故国を離れ、スカンディナヴイアから合衆国に亡命。その間、『ガリレオの生涯』(37年)、『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(39年)を書く。戦後、49年以降、東ベルリンに住み、劇団「ベルリーナー・アンサンブル」を結成し、字幕スライドや歌を用いた「異化」効果の理論に基.づく政治演劇活動を展開。

*2:『ル・シッド』 17世紀フランス古典主義の劇作家コルネイユ(1606?-84年)の代表的悲劇作品。

*3:ロートレアモン(本名イジドール・デュカス 1846-70年) モンテヴィデオ生まれのフランスの詩人。特異な散文詩「マルドロールの歌』(68、69年)と、「未来の書物への序文」として様々な作家の文章の引用・変形による断片で構成された『ポエジー』(死後発表)によって、20世紀の文学に大きな影響を与えた。シュルレアリストロートレアモンのテクストのイメージの突飛さを持ち上げたが、シチュアシオニストはむしろ転用の意養を高く評価している。これは、引用や変形といったオリジナルなきテクストという観点からロートレアモンを評価し直した60年代末のマルスラン・プレネやソレルスら「テル・ケル」派の観点を先取りするものである。

*4:モーリス・ヴィルー(生没年不詳) 1952年、メルキュール・ド・フランス』誌12月1日号に掲載した論文「ロートレアモンとシュニュ博士」のなかで、『マルドロールの歌』のいくつかの文章が19世紀の学者シュニュ博士の編集した『自然史百科事典』の借用であり、それ自体もまた博物学者ビュフォンの記述を下敷きにしていることを指摘した。

*5:ジョルジュ・ルイ・ルクレルク・ビュフォン(1707-88年) フランスの博物学者。その大著『博物誌』(全44巻、1804年完成)でフランス博物学の基礎を築いた。

*6:サン=ジュスト(1767-94) フランスの革命家。フランス箏命に参加しロベスピエールとともに最左派として恐怖政治を推進。94年、テルミドールの反動によって逮捕され、ロベスピエールとともにギロチン刑に処せられる。その雄弁とレトリックの巧みさでもって知られ、たとえば、「幸福とはヨーロッパの新しい観念である」などのスローガンは革命時に広く流布した。

*7:セルゲイ・ミ八イロヴィッチ・エイゼンシュテイン(1898-1948年) ソ連の映画監督。「ストライキ」(1924年)、「戦艦ポチョムキン」(25年)、「10月」(27年)などによって、映画芸術の革命と言われるモンタージュ理論を完成。

*8:メタグラフィー 語源的には、文字(graphie)の転換(meta)という意味だが、レトリスト・インターナショナルのメンバーらは、これを文字や物語に関わる転用という意味で用いている。

*9:ジョルジュ・サンドの小説『コンスエロ』 ジョルジュ・サンド(1804-76年)はフランス19世紀の小説家。1843年に完成した小説『コンスエロ』は、音楽家の少女コンスエロを主人公に、18世紀中頃のヴェネチアやウイーンを舞台とする物語。

*10:グリフィスの『国民の創生』 デヴィッド・ワーク・グリフィス(1875-1948年)は、合衆国の映画監督。映画の父と呼ばれる。生涯に400本以上の映画を作り、その中で用いた様々な技法(クローズ・アップ、並行モンタージュ、トラヴェリングなど)は、すぐに多くの映画監督によって模倣され、映画の文法として定着することになった。1914年に制作された『国民の創生』は南部の町に住む裕福な白人一家が南北戦争によって零落し、奴隷廃止令によって解放された黒人たちによって迫害されるが、クー・クラックス・クランによって救助されるというストーリーの一大叙事詩である。内容が古き良き南部を賛美し、人種差別的であることから、北部の大都市ではボイコット運動が起こったが、全国的には大ヒットし、驚異的な収益を上げ、ハリウッドの映画産業の基盤を築くことになった。ヨーロッパでは検閲に会い、公開が遅れたり、大幅にカットされて上映されたりした。

*11:クー・クラックス・クラン 合衆国の人種差別主義者の秘密結社。アメリカ独立戦争期にテネシー州で設立され、黒人への選挙権付与に反対し、白づくめの衣服と十字架を掲げて、黒人住居への放火、リンチなどの暴力的活動を行う。1877年に禁止された後も、1915年にアトランタで新たなK・K・Kか設立され、20年代に黒人・ユダヤ人などに対する拝外主義運動を行う。これも、28年に再度、禁止されるが、50年代から60年代の公民権運動に際してはまた復活するなど、現在まで命脈を保っている。

*12:サッシャ・ギトリ 192ページの注を参照

*13:マクシミリアン・ド・ロベスピエール(1758-94年) フランス革命期の政治家。ジャコバン派の指導者として、1793年以降、政権を掌握し、王政廃止、ジロンド党弾圧などの恐怖政治を行うが、94年、テルミドール反動によって逮捕・処刑される。

*14:マクシミリアン ロベスピエールのこと。同じくジャコバン派の政治家で94年に処刑された弟のオーギュスタン・ロベスピエール(1763?-94年)と区別してこう呼ばれることもあった。

*15:ガプリエレ・ダヌンツィオ(1863-1938年) イタリアの詩人・小説家.劇作家・軍人。官能的耽美主義の小説や戯曲によって作家として認められていたが、第一次大戦期には、ファシスト愛国主義の政治活動にのめり込み、自ら航空隊に志願して従軍した。ファシスト政権下では国民詩人として祭り上げられた。

*16:「黒双書(セリ・ノワール)」 1945年以降、ガリマール書店から発行されている黒表紙の推理小説双書。